suedesunday-1121|atmos(アトモス) 公式オンラインストア

PUMA SUEDE SUNDAY

新たなカルチャーが生まれる日曜日。
PUMA SUEDEを着用したスタイルと共に
あなたも新たな1歩を刻もう!

10月24日(日)よりスタートするPUMA #SUEDESUNDAY。
atmosのフィルターを通し様々なジャンルでブレないこだわりと
新たな挑戦をするキーパーソンが日曜日に登場!

#SUEDESUNDAY

10月24日(日)よりスタートするPUMA #SUEDESUNDAY。 各分野で注目を浴びるキーパーソンのインタビューを隔週で更新していく。 PUMA SUEDEを着用したスタイルと共に新たなカルチャーが生まれる日曜日。
あなたも新たな1歩を刻もう!

#SUEDESUNDAYインタビューページ #SUEDESUNDAYインタビューページ

Shun
The Apartment Staff

Kouichi Arakawa
Singer/Songwriter

PEKO
SPORTY COFFEE

SUEDE LIST

PUMA SUEDE CLASSIC XXI

374915-15
¥9,790

PUMA SUEDE CLASSIC XXI

374915-16
¥9,790

PUMA SUEDE CLASSIC XXI

374915-30
¥9,790

PUMA SUEDE VTG

374921-03
¥11,000

PUMA SUEDE VTG

374921-05
¥11,000

PUMA SUEDE VTG

374921-06
¥11,000

PUMA SUEDE VTG

374921-10
¥11,000

PUMA SUEDE VTG

374921-11
¥11,000

PUMA SUEDE MID XXI

380205-10
¥10,780

PUMA SUEDE VTG

374921-12
¥11,000

PUMA SUEDE VTG MIJ RETRO

380537-02
¥20,350

PUMA SUEDE VTG MIJ RETRO

380537-03
¥20,350

PUMA SUEDE VTG MIJ SASHIKO

381166-01
¥22,000

PUMA SUEDE VTG MIJ SASHIKO

381166-02
¥22,000

PUMA SUEDE MONO XXI

381176-04
¥9,790

PUMA SUEDE MONO XXI

381176-06
¥9,790

HISTORY

1960年代に誕生したスウェードを使用したプーマのトレーニングシューズは、Walt Frazierのシグネチャーシューズ CLYDEとなり、1980年代に入り、PUMA SUEDEとしてニューヨークを中心としたヒップホップカルチャーや、 後にローカルバンドやスケートボードなどとリンクを果たし、ストリート&サブカルチャーを好む若者たちの間で爆発的な人気を呼んだ。 以後、型はほとんど変わらず様々な形でリリースされてきたPUMA SUEDE。

1960-

-1960

PUMA SUEDEの前身のモデルとなるシューズが誕生。アメリカを中心に、アスリートたちのトレーニングシューズとして履かれる。

-1968

メキシコ大会で200メートルの金メダリストとなったトミー・スミスが表彰台でプーマ製シューズを掲げ、黒の革手袋をした右手の拳を上げてブラックパワーサリュートをパフォーマンス。人種差別への抗議を表明し、スポーツシーンに大きなインパクトを残した。

1973-

-1973

当時、ニューヨークで活躍をしていたプロバスケットボール選手、ウォルト・”クライド”・フレイジャーが、シグネチャーモデル PUMA CLYDEをリリース。1979年まで約6年間、少しずつアップデートを重ねながら販売される。このモデルが後にPUMA SUEDEへと繋がってゆく。

-1983

ロックステディ・クルーや、ニューヨーク・シティ・ブレイカーズなど、ニューヨークのブレイクダンサーたちがこぞって出演したドキュメンタリー映画「Wild Style」で、ダンサーやグラフィックライターたちがPUMA SUEDEを着用。個性ある色が人気を呼び、ファットシューレースを使った履き方が話題に。

1984-

-1984

ブレイクダンス、DJ、グラフィティとヒップホップのカルチャーを盛り込んだ映画「BEAT STREET」にて、多くの出演者がPUMA SUEDEを着用。シューズだけでなく、T7トラックジャケットも着用するなど、プーマが前面に押し出された映画となり、若者たちが影響を受ける。

-1980

旧ユーゴスラビアで生産を継続しながら、アジア(台湾)への生産拠点を変更し始める。アジアでの生産分からラスト(木型)の修正が行われ、細身のシルエットが確立された。1990年代に入ると、台湾から中国へと生産拠点が変更される。この時代に作られたPUMA SUEDEが史上最も細い木型を使用したPK0814(日本品番)である。ストリート シューズとして世界的に認知されたモデルで、プーマ = 細身の木型、という印象をエンドユーザーに与えることになった。 アメリカのストリートシーンで人気が出たことをきっかけに、PUMA SUEDEがロンドンへ渡り、ロンドンのアンダーグラウンドで人気を呼んだアシッドジャズのシーンとPUMA SUEDEがリンク。ちなみに英国ではSUEDEではなくSTATESと呼ばれていた。

1992-

-1992

ヒップホップアーティストがケリーグリーンのPUMA SUEDEを着用し話題に。またこの時期、ニューヨークを中心にローカルのバンドシーンでも「プーマ」を履く人々が続出。当時彼らが着用していたのは、1980年代の旧ユーゴスラビア製のデッドストック モデルであった。

-1992 中期

世界的なハイテク スニーカー ブームと併走する形でブランドの持つヘリテイジに再び注目が当たった時代。PUMA SUEDEにも大きな変化があった。各国のセレクトショップで別注や限定カラーも登場し、世界的なPUMA SUEDEの再評価が始まる。